転職しようと決めた出来事

テレビで運送会社の元社員が、パワハラで会社を訴えている話を見た。
髪の毛を剃られたり、裸にされて放水されたり、立派な暴行、傷害事件だ。

こんなことが常態化している会社に怒りを覚えるとともに、ワイが過去に受けたパワハラを思い出し、はらわたが煮える思いである。

今更こんな怒りをぶちまけても、食べてくれる人はいないのだが、ずっと胸にしまい続けて嫌な気持ちになるのも違うと思うので、実名を伏せて記憶の限り吐き出すことにした。

今回のニュースに比べればワイが受けたパワハラなんて可愛いもんで、実力行使シリーズとしては、
駅のホームで胸ぐら掴まれて持ち上げられた
とか、
ドア閉じた会議室内で椅子を蹴飛ばされながら怒られた
とか、その程度である。
言葉責めシリーズなんて星の数ほどあったし、
「ぶっ殺してやる」
なんてことも何度も言われた。
今こんなことあったら、絶対に許さないし、これまでのことも絶対に許さない。

残念なことに当時まだ若かったワイには、抵抗する手段を知る時間がなかったし、反発したらどうなるのかという怖さもあった。
抵抗する時間があったら1つでも作業を終わらせたいという気持ちもあった。
自分が悪いのだから仕方ないやという気持ちもあったのだ。

一種の洗脳状態だったとも言えるだろう。
それなりに心の傷になったことは事実で、現在それをやられたら絶対に裁判を起こして、個人と会社を相手取って多額の慰謝料をもらう。
まあとにかく、不当な扱いを受けたことに対しては、絶対許さない。

若い人たちには、こうした洗脳状態にある人もいるだろう。
ブラックな職場で苦しんでいる人もいるだろう。
一刻も早く逃げ出そう。



当時ワイはシステムの設計開発、つまり一線のSEとして稼働していた。
上司Aは係長さんで40過ぎ
先輩のBはその下で30くらい
そしてワイが当時20代後半である。

東京本社の意向でワイの住む東海地区から新潟に頻繁にいくことがあったのだ。
九州地方の会社が作ったソフトを新潟で導入するから要件定義をやってくれという話だった。

今になってみればなんだかなあと思う。東京本社から人を出せばいいんじゃね?明らかな人材不足である。大手のよくないところといえばそうだろう。頭でっかちで兵隊が少ないのだ。仕事取ってきたけど、だれがやるの?という状態である。

というか、ワイたちのシマだけ客ごとのカスタマイズが激しすぎて、ハッキリ言ってみんな嫌だったのだ。誰もやりたがらない部門だった。ほかのシマはパッケージをあてがえば事足りるのに、ワイたちだけがカスタマイズ地獄に陥っていたのである。

大手企業の強みとしては、汎用性の高いパッケージをうまくいろんなとこに当てはめて、カスタマイズを少なくすることで工数を減らすというとこがある。
ワイのいた部署のワイたちのシマだけはそういう強みはなく、客ごとのカスタマイズが当たり前のシステムだった。

そんなカスタマイズ地獄の部署に降りてきた仕事は、
「今まで取引のなかった九州の会社が熊本で導入したというソフトを、新潟で導入するから要件定義からやってくれ」
というものだった。

もちろんそのソフトのノウハウはわからんし、設計図ももらえない状態で頻繁に新潟に行かされて、係長も先輩もイライラしていたに違いない。



客の業務内容はわかるのだが、新規ソフトでどのように業務が変わるかっていうところは、短時間で把握しきれないわけで、客との打ち合わせとは別に、新規ソフトの開発者の女性とも別に打ち合わせを持たざるを得なかった。

それならば新規ソフトの担当者Dを打ち合わせに連れて行けばいいんじゃねと思うだろう。
そうすればいいのだが、ここがまた大手のやらしいところで、外注の業者だから矢面には立たせない。
仕事持ってかれても困るってとこか。最初から開発したやつ連れて行けよ!
表向きに2次請負、3次請負の禁止っていうルールを破ってはいけないのだ。
当時はうちの会社の名刺持たせて同行すれば問題ないだろ!って思っていたが。

裏ではそんなの当たり前のように外注使ってたけど、客の前ではうちの会社のロゴが入った名刺を使わせていた。
客からの問い合わせがあった時は、
「常駐場所が別だから折り返す」
っていう対応をしていた。
同じ市内の外注はうちの社内のデスクを外注に貸し出して(もちろん費用は外注持ち※極悪)、うちの会社に、名実共にいる状況を作っていた。
もちろんその方が同じ案件を扱う上で意思疎通しやすいから都合がいいのだが。
当時はなんの疑問も持たなかったが、明らかなルール違反だった。

だからよその社員である新規ソフトの担当者を、あたかもうちの社員であるかのごとく振る舞わせるわけにいかなかったのだ。
そんなわけでワイたちが矢面にたたされ続けていた。

仮に新規ソフトの担当者を打ち合わせに連れていけば、業務はともかく新規ソフトに1番詳しいわけだから、ワイたちはいなくても大丈夫だったろう。
なんでそんなに無理して九州のソフトを使うのかと思うのだが、後からそのソフトを数億で著作権ごと買い取っていたようで、使わざるを得なかったのだ。

なんのこたあない、現場のことを知らないバカが勝手にパッケージを買い取ったのだ。おかげで現場はてんてこ舞いだった。
自前で組みあげていたシステムを新潟にあてがえばどんだけ楽だっただろうか。
パッケージを買い取ったバカに導入までやらせてみれば、どれだけ大変だったかわかるだろう。

そんなわけで、自分たちが把握していないシステムの要件定義をやらされるという、アホな仕事をするために、頻繁に新潟に行っていた。
客との打ち合わせでも、ワイたちがすぐに決められないから内容も薄く、持ち帰り事項が多く、終わってから新規ソフトの担当者に聞くことが多かった。
最初から開発者来いやと思うことが多く、ものすごいストレスだった。

新規ソフトを作り込んでいく実作業はといえば、中国系の会社に丸投げである。
話したことはおろか、会ったこともない中国人に実作業を依頼していたのだ。
ワイたちは開発環境すら整えていない。

DBの表と画面のハードコピーだけ持たされて、
この画面はこういう時に使いますよ〜(多分)
と言った説明をしていた。
本当にアホらしい。

やはり客に話をするには、その製品についてよく知っている人間を使わなければいけないだろう。でなければ、できることとできないことの切り分けさえも怪しい。壮大なる時間の無駄である。

業務はわかるけど、客ごとにローカルルールがある中で、システムのことを勉強中の者が要件定義っていうのはきつかった。どっちも中途半端な状態で話を進めるのは厳しい。

それでも打ち合わせ前には資料作りが必要で、わからないから時間もかかるし、既存の顧客対応もしないといけないってことで、毎日午前様であった。
午前二時とか三時とかの連続である。

土曜も日曜も出勤。休んでも気になってしまって、休んだ気にならない。
会社で仕事した方が気持ちが楽だった。完全なる社畜である。洗脳されているかのように出勤していた。

案の定要件定義フェーズが終わるタイミングで、ワイたちの部署は新潟案件から手を引くことになった。
う~ん。正解。
最初から関わらない方が良かっただろ。

現場の声をちゃんと聞けよ。
はい、仕事取ってきました。さて、やれる駒がありません。
ってさ、もうね、アホかと。

今はどうなっているか知らないけど当時は休みの日に出勤することに対して誰にも届出る必要がなかった。自由に出勤していたのだ。係でまとまって土曜に出て日曜は休もうという話もしたことはあった。

でも、止める人っていなかったのだ。働き方改革とは無縁のモーレツ社員万歳の世界であった。大手で昔からある会社はそうなんだろうな。

予定せずにワイが出勤した後、係長のAが出勤することもあった。
わからない点を聞いても、「オマエの相手をするために休日出勤したんじゃねぇ」と言われる始末。

困ってる部下がヘルプを求めているのに。
これってパワハラだよな。
人間って忙しすぎると心がすさんでくるのだ。

この当時のSEは現代版3Kと言われていた。
キツイ
帰れない
気が休まらない
の3Kだが、まさにそれを地で行っていた。
ソフトウェア開発はまさに人が資源である。
だからか知らんが残業代はしっかり出ていた。

ワイが院卒で入ってすぐ、超過200オーバーで手取り50。
ただし客先泊まり込みで土日も仕事。
金をもらうというより、金を握らされて働かされていたイメージだ。

入ってそうそうそんな勤務で、同僚の結婚式もリリースと被って欠席した。
なんのために働いているのか。
社会人になって早々にそんな気持ちになったのだ。

今思えばこの時点で転職を考えて行動していればよかった。本当に後悔しかない。システムエンジニアになりたいなんて、どうして考えたのだろうか。


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