宿題論 平日編

大人になった今、宿題というものについて本気で考えてみる。

宿題出すよーっていうと、えーってなる。
好んで宿題やりたい奴いないよね。

漢字の書き取り
計算ドリル
本読み

まあこのくらいは毎日あるわけだ。

出来るようになれば、宿題なんてやらなくていい。
出来る奴は宿題なんていらないのだ。
そしてこれは完全なるやらされである。
自由研究の方がよっぽど楽しいだろう。

人間の記憶の忘却曲線が本当ならば、繰り返すことによって記憶が定着するのだから、全く無駄ということはないのかもしれない。
漢字を書く、計算をするというのは、必要なことなんだろう。
小学生の勉強なんて完璧にしとかないと。

だから無駄ではないのかなという気もする。
嫌々ながらも覚えることで脳が活性化することもあるんじゃないか。

本を読んで、計算カードやって、と。
お家の人のハンコをもらってこいだと?

あん?
ハンコ?

そういうのはいらないよ。
子供たちがやったといえばそれでいいんじゃん。
嘘ついて困るのはその子だよ?
押し忘れとかもあるだろうし。

自分がやったといえばそれでいいじゃん。
わざわざ嘘ついてもしょうがないよ。
子供たちは嘘ついて宿題をやらない前提で作られているんだね、おうちのひとチェックシート。

やったら自分で丸つければいいじゃん。
子供たちは信用されていないのだな。
とりあえずチェックシートはやめようよ。

宿題は基礎学力を底上げする大事なものもあるから、一概に不要とは言えない。
そのやらされ感だけはもっと薄めてあげる必要があるのではないか。
自由勉強って言って、なんでもいいから2ページにわたって自分が調べたことを書いてこいとかさ。
自由研究と読書感想文についても、また書きます。

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